2019.12.03

催し・イベント・行事・活動

Vol.1341【不思議な国ネパールその3】山岳アスリート・田村聡さんが36年かけて叶えたエベレスト登頂の夢

世界級の講演者が小金井に
生まれつき耳が聞こえず
自然との一体感
ろう者ならではの登山スキル
登山家の憧れ、エベレスト
ろう者として世界初のチョオユー登頂
いよいよエベレストに挑戦
世界の名高い山を次々に制覇
バイクレーサーとしてパリ-ダカにも出場
得意種目でデフリンピック選手としても活躍
世界一過酷なトレイルラン
田村さんの更なる目標
田村さんからのメッセージ

丹沢山地から見る富士山　Image: Redsugar via Pakutaso

富士山に登ったこと、ありますか？

筆者は一度もないのですが、話を聞くところによると歩きにくく、なかなか困難な道のりなのだとか…。

ところが、登山のプロである山岳アスリート・田村聡（たむらさとし）さんは、なんと1日に4回も富士山に登ったことがあるそうです。

4大登山ルートを一筆書きにして、日本一高い山・富士山を登っては降り、登っては降り…を早歩きで制覇。「体力を作るためには辛くないとトレーニングにならない」と言い切る田村さんの強靭な体と心は、どのようにして鍛えられたのでしょうか。

世界級の講演者が小金井に

田村聡さん、54歳。世界的にご活躍なさっている山岳アスリートです。

11月17日、3度目の開催となった公民館緑分館主催の国際交流イベント「不思議な国ネパール」の講演者として小金井市にお越しいただいたのを機に、冒頭の富士山のエピソードを含め、貴重なお話をたくさん伺いました。

生まれつき耳が聞こえず

東京都立川市出身の田村さんは、生まれた時から耳が聞こませんでした。

７歳の時、まわりの人となにかが違うなと自分で気づいてから、苦悩が始まったとおっしゃっていました。聞こえないのでコミュニケーションをうまく取れず、引込み思案で人見知りな子どもだったそうです。

自然との一体感

転機が訪れたのは中学校に上がって13歳になった時。家族と一緒に山梨県・西沢渓谷に出かけ、初めて自然の素晴らしさに開眼したそうです。雄大な自然の中に立つと、自分と自然が一体になる。そうすると、日頃悩んでいた人間関係や、コミュニケーションの問題から解放され、自然と一体感を味わう喜びに満たされる――。

その後、田村さんは、お父さんと叔父さんと連れ立って日本アルプスの山々を登り始めました。叔父さんは大学の山岳部にも所属していて、山の厳しさを最初に教えてくれた存在だったそうです。

そして高校生の時、日本の山岳隊がエベレストの中国側から世界で初めて登頂したという新聞記事を読んで深く感動したのを機に、自分も将来エベレストの山頂に立ってみたいという夢を抱き始めたそうです。

ろう者ならではの登山スキル

夢を追いかけるために、田村さんは耳の聞こえない人だけで作る「東京ろうあ者山の会」という社会人山岳会に専門学生として参加し、登山のスキルを磨きました。

耳が聞こえないと、落石や雪崩も音で察知することができません。また、ロープを張ってクライミングをする時も、ロープを支えてくれている仲間の顔は見えないし、声も聞こえません。それらの危険をどう回避するか、ろう者たちが長年編み出してきた技術を「東京ろうあ者山の会」の先輩たちから教わったそうです。

自分のできる範囲で安全な登山を志し、ひとつひとつ技術を身に着けながら日本の険しい山々を次々に登頂していきました。

登山家の憧れ、エベレスト

田村さんのスライドより。中国サイドから頂上を望む

世界一高くそびえ立つエベレスト。高さのみならず、そのスケールの大きさ、極寒環境、そして酸素の希薄さすべてが難関たるゆえんであり、世界中の登山家の憧れでもあります。

エベレストに挑むためには、まず8000メートル級の山を登った実績が必要なのだそうで、そのために田村さんが挑んだのは世界で6番目に高い山、チョオユー（標高8201m）でした。

ろう者として世界初のチョオユー登頂

8000メートル級の山に登るために重要なのは「高度順応」。ヒマラヤ遠征とは高山病との戦いでもあるそうです。

高山病には頭痛・下痢・食欲不振・呼吸困難・視力低下・睡眠時の咳など、様々な症状があらわれるそうです。どんなに体力があろうとも、いきなり頂上まで登っていくわけにはいきません。1日500メートルを目途に少しずつ登って、徐々に体を順応させていく必要があるそうで、チョオユーはそのようなトレーニングの場でもありました。

果たして2007年10月4日、田村さんはろう者として世界で初めてチョウユー登頂に成功しました。

そしてその山頂から雄大なエベレストの姿を間近に見るにつけ、あらためて世界一の山を目指す闘志が湧いてくるのを感じたそうです。

「タムラ、君は高所に強い人間だね。エベレストにも挑戦してみたらいいよ」、こんな言葉をかけてくれたネパール人のシェルパ（登山家のアシストを務めるプロ）がいたそうです。その言葉を励みに、いざ、田村さんのエベレスト登頂が始まりました。

いよいよエベレストに挑戦

田村さんのスライドより

田村さんはどのようにして世界の頂点を極めたのでしょうか。

じつは、田村さんは2014年5月、2015年5月と、2016年5月の3度に渡ってエベレストに挑んでいます。度重なる挑戦の中で、筆者の印象に残った田村さんの非凡なる才能とは…

①経験による勘と、努力によって磨いた技術を、必要に応じて遺憾なく発揮できる。

3度目の挑戦の時、パートナーとなったシェルパの痛恨のミスによりエベレスト山頂付近で酸素マスクが機能しなくなるトラブルに見舞われたにも関わらず、自分で気づき、人一倍の努力を経て、ほぼ無酸素登山の状態で登頂したそうです。日頃の丹念なトレーニングと努力の賜物だったのだと思います。

田村さんのスライドより。C1キャンプに続く道。岩の凸凹を避けて通らなければならないため、移動距離は見た目よりもずっと長くなる。

②慎重かつ大胆。

2014年に挑戦した時は天候に恵まれず、ネパール側の登山ルートでは大規模な雪崩が発生し何名ものシェルパが亡くなる惨事があったそうです。田村さんはあらかじめ中国側のルートを選んでいたので、幸い登山を続行。亡くなった方々のご冥福を祈りつつ、慎重に進んだそうです。

「下山して初めて登頂になる」とおっしゃる田村さん。その言葉の真意は、下山中に滑落して命を落とす人が多いということ。エベレストでは200人以上の方が亡くなっており、田村さんはその中の3名の死を間近に目撃されたとか…。

エベレストに登頂した達成感、喜びの感情は一旦自分のなかに押しとどめ、神経を研ぎ澄ませて慎重に山を下らなければならないそう。山頂から一番近いC3キャンプまで、常に死ととなり合わせの緊張感をもって歩き通した17時間は非常に長く感じられたそうです。

田村さんのスライドより。C1キャンプに続く絶壁。

③ポジティブ。

登山病で体調を崩しても、悪天候が続いて20日間ベースキャンプに留まらざるを得なくても、よくなると信じて辛抱強く待ち続けた田村さんのメンタルの強さには脱帽です。

2015年（2度目の挑戦）にはネパール大地震に遭い、やむを得ず登頂を断念。自然の圧倒的な力を前にして無力感を味わいながらも、決して次なる登頂のチャンスをあきらめませんでした。

「国際公募隊」の多国籍メンバーとして異言語コミュニケーションもままならない状態から、信頼できる仲間関係を築き上げる能力も。

ある高度まで上がるとインターネットにつながらなくなるため、スマートフォンの自動翻訳機能を失い、外国人とのコミュニケーション手段が一切なくなってしまうそうです。まるで無人島に残されたような感覚に襲われ、もしもなにかが起きた時に、聞こえないために孤立している自分は一体どうなってしまうのか…と不安を抱きつつも、常に環境にポジティブに働きかけた田村さん。努力すれば必ず道が開ける、となんどもおっしゃったのが印象深いです。

念願のエベレスト登頂。ろう者としては世界初。

④成功するまで決してあきらめない。

エベレストが高いのは標高だけではないそうです。登山に必要とされる資金もまた高く、だいたい800万円かかるのだそう。田村さんは、クラウドファンディングと持ち前の交渉力とを有効活用し、たくさんの人に応援されながら3度もエベレストに挑戦し続けたそうです。

山頂付近で強風が吹き荒れていても、まわりの人からもうあきらめろと言われても、「頂上をこの足で踏まないことには絶対に日本に帰れない！」と強い信念を持ち続けて果敢に登頂にチャレンジされ続けたたゆまない努力に深い感銘を受けました。まさに継続は力なりです。

そして2016年、ついに世界で初めてろう者としてとしてエベレストに登頂。田村さんの快挙はまたたく間に東京新聞の第一紙面を飾りました。

その際、田村さんが記した色紙には「好きな事をチャレンジしてみると良い。勇気を出せば道が示される。チャレンジすれば道が開ける！諦めず勇気情熱叡智そして挑戦」の言葉が並んでいました。

障がい者は「できない」という偏見や差別を受け、可能性をそがれてしまうことが多く、なかなか自信を持てないのだそうです。しかし、田村さんは自分の耳が聞こえないことをハンデだと思ったことはないそう。自称「臆病」な田村さんにもできるのなら、ほかの障がい者の方にもいろんなことにチャレンジしてもらいたい…。そんな力強いエールを送ってくださいました。

ろう者も、聴者も、勇気と努力を持てば可能性を切り開ける。そのチャンスは平等なので、これからも挑戦をし続けたいです。

田村聡さん

世界の名高い山を次々に制覇

エベレスト登頂後も、田村さんの快進撃は続きます。

2017年1月には荷物紛失のトラブルに見舞われるも、南アメリカ大陸で高さNo. 2のオホス・デル・サラード（チリ）に登頂を果たし、続いてNo. 1のアコンカグア（アルゼンチン）にも登頂。

槍のように険しくそびえ立つバティアン

2018年2月にはアフリカに遠征し、No.1のキリマンジャロ、高度はNo.2ながらも難易度がより高いバティアンにも見事に登頂。

同年の8月にはロシアへ向かい、食あたりに苦しみながらもディフタウとエルブルスに連続登頂されました。

バティアンやディフタウ山頂から田村さん自らがドローンを使って撮影した映像は、まさに息をのむ美しさ！

山頂までがいかに険しい道のりだったか、そして山のスケールの大きさを実感できる貴重な映像でした。

バイクレーサーとしてパリ-ダカにも出場

登山以外にも、田村さんは常に様々なチャレンジに取り組んできました。

2002年1月には世界一厳しいと言われているパリ-ダカール・ラリーの二輪部門に出場。ゴールまであと4日というところでバイクが故障してしまい、断念せざるを得ない状況に…。本当に悔しい思いをされたそうです。

なんと、エベレスト登頂よりもパリ-ダカのほうが大変だったといってもいいくらい、非常に過酷なレースだったそうですよ。

得意種目でデフリンピック選手としても活躍

「登山」にはハイキング・トレッキング・トレイルランニング・フリークライミング・アイスクライミング・ボルダリング・沢登り・山スキー・アルパインクライミング…と様々な種類があるそうです。

なかでも、田村さんの特技は「山スキー」、「アイスクライミング」と「トレイルランニング」。

4年に1度世界規模で行われる聴覚障害者のための総合スポーツ競技大会「デフリンピック（Deaflympic）」には、アルペンスキーの選手として日本を代表して出場した経験をお持ちの田村さん。

2010年5月には、日本で2番目に高い北岳のバットレスをスキーで滑降するという偉業を成し遂げました。こちらがその滑降ルートです。

画像提供：田村聡氏

まず山頂まで登ってから、青で始まり赤と合流する線をたどって一気に山を下ったそう…！

最大斜度は55度、標高差は870メートル。絶対に転んではいけないので慎重に滑った理由がよくわかりますね…。聴衆からは驚きの声が上がっていました。

画像提供：田村聡氏

北岳の頂上から見下ろした光景はこのとおり。斜面が垂直の壁のように見えています…！！なんというスリル。もし自分だったら、足がすくんでとても降りられそうにありません。

世界一過酷なトレイルラン

トレイルランニングでは、素人からしてみれば苦行でしかないと思えるような過酷なレースにも参加し、ろう者として初めて完走を果たしたそうです。

「トルデジアン（Tor des Geants）」は世界で最も距離の長い耐久トレイルランニングレースで、累積の標高が2400メートルの高所で総距離330kmを150時間（6.25日）以内に走り抜けなければいけないのがルール。

イタリアのクールマイユールで毎年9月に行われており、田村さんは2013年に参加されました。時間制限内に走り切るには、睡眠時間をほんの2，3時間程度に抑え、あとは147時間、夜も昼もひたすら走り続けるそうです。

足の裏には無数のマメができてしまい、激烈な痛みと戦いながらの走行…。痛み止めを飲まないと足を地につけないぐらいの痛みに襲われつつも、薬を飲み続け、走り続けて、ゴールすることができたのだそうです。

田村さんの更なる目標

田村さんのスライドより。富士山からパラグライダーに乗ってかっくういい～！！

これだけたくさんの偉業をこなしてきた田村さん。まだまだ登りたい山は尽きないそうで、次に目指すはK２だそうです。

さらに、世界7大陸の最高峰と、セブン・セカンド・サミット（世界7大陸の第二高峰）をすべて制覇し、極めつけにはエベレストに再登頂後、山頂からパラグライダーで滑空するのが夢だそうです！今後のご活躍にも注目したいですね。

上の画像はパイロットのXC証（パラグライディングクロスカントリー技能証）という認定を取得し、今年の8月に富士山頂から太平洋までの約26kmをパラグライダーで飛行したときのもの。

パラグライダーを操縦するには地上と無線で連絡を取り合うのが通常ですが、田村さんの場合、交信手段として振動する装置を使うそうです。はじめはどこのパラグライダースクールにも断られ続けた田村さんでしたが、西東京パラグライダースクールで学び、見事ライセンスを取得されました。

「耳は聞こえないけど、工夫と努力で成し得ることはできるのです。」

田村さんのこの言葉が心に残りました。

最後に、田村さんからのメッセージを。

これからも世界の山に挑戦し続けます。人間は夢を持つことができます。自分の長所を見つけて、目標を持ち、努力を重ねることが大切です。登山は失敗すると命にかかわります。きちんと計画し、ルート調査を行い、体力を付け、イメージトレーニングをします。事前の準備をきちんとして、山へ向かいます。あとは、自然が見守り、後押しをしてくれます。どんなに苦しい時でも、必ず道は開けます。

皆さんも夢に向かって、頑張りましょう！